2026年3月、私たちは未曾有の東日本大震災の発生から15年の区切を迎えます。パシフィックコンサルタンツは発災直後に、全社一丸で被災地支援に取り組むことを決意、全国から東北支社に応援部隊が駆けつけ、さまざまな場所で、時には住民の皆さんと膝詰めの議論をしながら、巨大な規模と数の復旧・復興業務を進めました。その先頭で東北支社はいかに取り組み、その成果のうえに今後、地域にどう貢献しようとしているのか、東北支社長の伊藤弘明、理事の木村誠、東北国土基盤事業部長の堀合孝博が話し合いました。
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応援に行きたいと次々と挙がった手
――発災当時のことを教えてください。
木村:私は東北支社の交通政策グループのグループリーダーでした。被災の規模があまりにも大きく、私の部署はもとより支社で出来ることは限られていましたが、当時の長谷川伸一社長が全社一丸となって復旧・復興の支援に当たることを宣言され、東京はもちろん、北海道から九州まで、全国から技術者が応援に駆けつけてくれました。東北で復興業務の主体となる地域計画系の業務を担当していたメンバーは少数だったので、通常業務を継続するのが精一杯でしたが、まずはそれをやり遂げろと指示されていました。私は発災の翌年に副部長になり、さらに部長になった頃から管理職として復興業務に携わるようになり、2018年からは支社長として支社全体を見るようになっていきました。
堀合:私は当時河川グループのグループリーダーでした。年度末を目前にした繁忙期でしたから通常業務だけでもかなり大変な時期だったのを覚えています。しかも当時仙台に住み、東北支社で勤務する木村さんも私も被災者です。本社から続々と届けられる支援物資はありがたかったですね。被災後2、3日して当初の混乱が納まると一気に忙しくなっていきましたが、河川、港湾、海岸、地盤の国土基盤系を中心にまちづくりなど、全国からさまざまな技術者が応援部隊として駆けつけてくれ、技術部門のなかに震災復興室等の専担部署が出来ました。ワンフロアを貸し切るくらいの規模でしたが、縦割りになることもなく、パシフィックコンサルタンツならではの総力戦が展開されて頼もしく感じたのを覚えています。実は先日、国土基盤系の部長・室長が全国から集まったのですが、多くのメンバーが東北支社で復興業務を経験した人でした。当時の経験がそれぞれの成長の糧になったのではないかとあらためて感じました。
――伊藤支社長は、当時は東京勤務ですね。
伊藤:都市再生室という室の室長で、発災当日は打合せで新宿にあったオフィスにいました。復旧・復興に全社で取り組むぞという経営の意思表明があり、私もそうですが、現地に行きます、と手を挙げた人は多かったですね。東京は地震で揺れたのはもちろん、さまざまな映像で津波襲来の光景を目の当たりにしたこともあって、みんな居ても立っても居られないという感じでした。現地で被災した人のショックはもちろん大きかったと思いますが、あの映像を見た東北以外の地域の人の驚きや焦燥も非常に大きかったですね。ただ、年度末で通常業務も大変な時期で、私は部下二人に取りあえず半年行ってくれと頼みました。それが、結果的には何年にもなって、今でも「確か半年の約束でしたよね」と冗談交じりに言われています。でも、復興事業を最後まで見届けることが出来たので、二人は技術者として成長できたのではないでしょうか。私自身は、東北に常駐して特定の復興プロジェクトに携わるということこそありませんでしたが、震災発生のすぐ後に何度か現地に入っています。一昨年に東北支社長を拝命した機会に、名取市や南三陸町、大船渡市や気仙沼市などの復興事業の成果を見て回って、「ここまで出来たのだな」と当社が果たした役割の大きさをあらためて感じました。もちろん住民の皆さんの生活という意味での本当の復興はまだまだこれからも続いていきますし、解決していかなければならない課題もあると思いますが、震災後10年、15年で当社が果たすべき役割はある程度果たせたのではないかと、当社の存在意義をあらためて感じています。
発注者支援に大きく踏み込む
――復旧・復興事業は過去にない規模で、また、従来の社会インフラ整備事業とも違う取り組みだったと思います。どんな想いで携わっていたのですか。
木村:今までのインフラ整備は受託業務という範疇にありましたが、発注者も被災されて大きく力が削がれていました。そのため私たちには、発注者支援そのものが求められました。例えば南三陸町では震災前と比べて膨大な予算を執行していく必要があったため、当社ではPMC(プロジェクト・マネジメント・コンサルティング)という新たな考え方の導入を提案しました。事業目標の達成のためにはまず基本構想と計画立案、事業の総合調整や事業手法検討など、通常発注者が担う上位のプログラムがあり、その下で具体的なプロジェクトが進みます。しかし発注者側の人員の量的・質的な不足のなかでは、そうした通常の事業執行が困難な状況でした。プロジェクトの目的を達成するために、まさしく発注者の代行として上位のプログラムのマネジメントと具体的なプロジェクトのマネジメントを連携させながら進めることが必要だと考えたわけです。
堀合:CM業務として関わった旧北上川河口部の復旧・復興事業も、まちと一体化させた延長15㎞近い堤防を新たに整備するという大事業でした。通常の河川の災害復旧というのは現状復帰が目標です。しかしこの復旧・復興事業は、新たなまちづくりと一体で取り組まれるものです。加えて広域の地盤沈下も発生していたので、どこにどれだけの高さの堤防を、どういう形で築くのか、関係機関とのさまざまな連携・調整や事業実施中の課題への即応体制がなければ、事業進捗に支障をきたすことになります。10を超える事業主体が同時に動きましたが、各事業の細かい日程の調整や課題の管理をはじめ、施工業者間の細かい調整まで、私たちが事業管理と施工管理を兼務する、いわば「何でも相談窓口」になりました。施工の現場で設計に遡って調整が必要になることもたびたびありましたが、CMの現場と私たちの全国の設計部署をバックオフィスという形つないで、すぐに修正設計してもらうといったこともしていました。
木村:住民説明会や意見交換会も、通常のプロジェクトであれば私たちは黒子ですが、東日本大震災では私たちが行政に代わって前面にでて説明したり、一緒に意見を交わせてきました。大変でしたが、私たちの大きな学びや成長につながったと思います。
伊藤:現地での再建にせよ、集団での移転にせよ、そもそもどこにどういうまちをつくるのか、まず大きな絵を描くことが必要でした。そもそもどこにつくるか、という検討から始めるまちづくりはめったにあることではありません。しかも住民の皆さんの思いはそれぞれですし、気持ちの上で計画に積極的になれないというかたも少なくなかったと聞いています。復興事業を終えてまち開きまで辿り着いたときの担当者の安堵や感慨は大きかったと思います。

多重防御、Build Back Betterという財産
――復興事業への関わりを経てどんな学びがあったと思いますか。
堀合:想像を絶する津波被害を受けるなかで、私たちが学んだことのひとつは多重防護の考え方です。これまでの自然災害に対する個々の施設の対応には限界があり、それを補う機能を、先人の知恵や工夫にも学びながらハード・ソフトの両面で多重に防御するということです。2015年に仙台で開催された国連防災世界会議でも、私たちはこの多重防御の考え方を模型とARで製作して紹介しました。
木村:被害が起こる前の状況に単に戻すのではなく「より良い復興(Build Back Better)」を実現するという理念も、私たちが実際に住民の皆さんと復興に携わる中で、新たに導き出したものだと思います。
伊藤:東北地方は大震災で大きな被害を受けましたが、福島県の原子力発電所周辺以外は復興事業がほぼ終了しています。しかし、日本のなかの課題先進地域でもあります。人口減少や高齢化の進展も早いですし、温暖化の影響で雨の降り方や台風のルートが変わり、今まで想定していなかったような水害が毎年のように起きています。
堀合:河川管理に関わってきた者として言うと、北海道、東北は大雨に弱い地域です。これまで西日本で降ったような豪雨に遭ったら大変なことになってしまいます。集水域から河川域、氾濫域までを一つの流域として捉え、さまざまな関係者が協力して水害を防ぐといった流域治水の考え方も、東日本大震災の復旧・復興の経験や、令和元年の東日本台風の被害等もきっかけに生まれたものだと思います。この流域治水の対策についてはまちづくりと合わせて事前防災として取り組まなければなりません。東日本大震災では発災後だからこそ、ゼロからのまちづくりを推し進めるといった大胆な対応ができましたし、そうせざるを得ませんでした。しかし事前防災として災害に強いまちづくりを、行政側と住民の皆さん双方が納得できる形でどう進めるかがこれからの課題であり、どういう提案が出来るのかが私たちに問われていると思います。事前防災のまちづくりに対する投資効果の検討が社内でも進んでいますし、どれだけ効果があるかを具体的に示すことも必要ですね。

多くのノウハウや学びを継承しさらに地域に貢献していく
――これから東北支社でどのような取り組みを進めていきますか。
伊藤:昨年、東北支社は60周年を迎えました。東北支社が開設から60年を迎えられたということは、何らかの形で地域の人から必要とされてきたということだと考えています。それを誇りに事業を進めていきたいと思います。東日本大震災後の15年に及ぶ復旧・復興事業の経験と知識も、被災地にある支社として得てきた多くの学びとしてしっかり継承していかなければなりません。定期的に仙台で開かれる世界防災フォーラムのサポートや、東北大学災害科学国際研究所への出向者派遣という形での学・協会との連携も大切にしていきたいと考えています。
堀合:この15年、どういうことやってきたか、その結果どうなったか、それをきちんと評価していかなければならないでしょうね。それが次につながることになります。成果ばかりではなくて、どういう課題が残ったのかということにもしっかり目を向けていかなければなりません。それは自分に残された仕事としてしっかりやっていきたいと思います。
伊藤:復旧・復興事業の継承という点では課題もあります。業務を担当した従業員の中には退職の時期を迎える人もいますが、人から人へという形でしか伝えられない教訓やノウハウもあります。例えば住民の皆さんとの話し合いをどう積み重ねてきたのか、議事録を読んでも臨場感をもって全てを伝えられるわけではありません。ただ、木村さん、堀合さんはじめ経験者は皆、次の人に伝えていかなければという強い使命感を持ってくれています。それをしっかり形にしていくのが私の大きな役割だと思っています。